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中国の巨匠・徐悲鴻~切手で学ぶ「社会主義リアリズム」~

 

今回紹介するプレミア切手は、1978年に発行された「徐悲鴻莽馬シリーズ」10種です。
徐悲鴻(じょひこう)という画家の作品、「馬」が描かれた切手です。

 

この徐悲鴻は現代の中国において非常に人気のある画家で、切手であっても価値は非常に高いと言われています。
この記事では、激動の中国を生きた男の生涯を通じて、当時を取り巻いた美術について勉強してみましょう。

 

 

●徐悲鴻の生涯―東西文化論戦のなかで―

1895年、江蘇省で生まれた徐悲鴻は、幼少期より絵を描くことを好んだと言われています。

その腕前は、家が困窮した際に、画を売って生計を立てたほどだったとか。彼は水墨画を得意としていました。

 

1917年から、日本、フランスと美術の留学生として世界を回った徐悲鴻は、帰国後、中国(当時は中華民国)における文化の潮流として、北京大学などの教育機関で講師活動を展開していきます。

 

当時(1920年代)、中国の論壇は「東西文化論戦」がしきりに行われていました。
これは、辛亥革命からいまだ数年しか経たない中国が、いったいどのくらい西欧の文化を模倣し、伝統文化を守るべきか、ということをテーマに行われた議論でした。

 

「文化」といってもジャンルは多岐に及び、絵画もその例外ではありませんでした。
中国の伝統画が西洋画の勢いに比べて停滞しているのではないか、という危機意識が伝統画の界隈全体を覆っていたのです。
そんな中で徐悲鴻は、近代国画の巨匠として頭角をあらわしていったのです。

 

ちなみに、徐悲鴻は、同じアジアの国でありかつ西洋画の影響を受けた日本の近代画について、留学の体験から、西洋画をとりこみながらもそれを超越したと、高い評価をしていました。

 

 

●社会主義リアリズムと徐悲鴻

やがて、徐悲鴻は、中国画と国家政策の融合を説き始めました。

これには「社会主義リアリズム」という思想と深い関係があります。

 

この思想は、世界初の共産主義国家であるソヴィエト連邦(ソ連)が実践した、国民に対する芸術を用いた教育法です。
身もふたもない言い方をすれば、ソ連にとって都合のいい芸術を国民にあまねく広めようというものでした。

 

すなわち、「形式においては民族的、内容においては社会主義的に」という方針のもと、ソ連は様々なジャンルの芸術を統制したのです。
例えば、文学においては労働者が主人公のものが理想とされました。
音楽においては労働者の心を高揚させるものが求められました。
そして、絵画においては、農場や工場または労働者などの画題しか、共産党は認めなかったのです。

 

徐悲鴻は以上のような、国家による主導された芸術活動「社会主義リアリズム」を主張しました。

 

当時の中国はすでに共産党が結成されていたことからわかるように、論壇を中心に共産主義が席巻していました。
影響を受けた文化人も少なくなかったのです。
そして、そういった時代状況で描かれたのが「馬」でした。
彼自身が国民全体に感動を届けることを想定した描かれたものでした。

 

徐悲鴻は晩年、中華人民共和国が成立した後に中央美術学院院長に就任し、まさに中国画の権威となりました。

 

そして、1953年に亡くなった後も、その作品は歴史に刻まれ、今回のような切手化へとつながりました。
1983年には北京に記念館が設立され、観光地の一つとなっています。

 

徐悲鴻莽馬シリーズ切手

発行年度 1978年
編号 T28m
買取における価値 4000円~5万

 

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いかがでしたでしょうか。

近代中国の激動の歴史が、わずか数センチの切手から読み解かれました。
徐悲鴻という男の生涯は、まさに中国画壇の葛藤を象徴するかのごときものでした。
右往左往した画壇を駆け抜けた「馬」。
見つけられた方は、ぜひ査定に出されることをオススメいたします。

 

 

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