MENU
 このエントリーをはてなブックマークに追加 

名君か、暴君か、中国の建国者、毛沢東!

切手コレクターにとって、その希少価値が故に人気の高い「中国切手」。そもそも希少価値が高いのはなぜでしょうか。
それは1960年代後半から70年代半ばまでに吹き荒れた「文化大革命」の嵐が大いに関係しています。

 

当時の中国政府は「文化大革命」の政策の一環として、中国人民は外国の人とやり取りしてはならない、と触れ回ったのです。
なので、切手を集める行為を中国人民はせず、むしろ破棄していきました。
なので、現存している「中国切手」は、政府によって海外に発送したものがほとんどです。
そんな「文化大革命」を提案したのは一体誰なのか。
それは、中華人民共和国の建国者にして初代国家主席、毛沢東(もうたくとう)です。
なぜ毛沢東は「文化大革命」を考えたのか。
今日の「中国切手」の価値が上がるきっかけを作った、一人の男の生涯を、切手を紹介しながら見ていきましょう。
今回紹介する切手は、「毛主席シリーズ」です。

 

毛沢東の生涯

生まれ

1893年、湖南省にて地主の子として毛沢東は生まれました。
師範学校(今でいう教育学部などの教員養成機関に相当する)を卒業後、北京に上京した毛沢東は、「新文化運動」に身を投じることとなりました。

 

新文化運動

「新文化運動」とは、1910年代の中国で大学生などの知識階層を中心に起こった、中国の伝統文化に対する批判と提言を繰り返す運動です。

魯迅(ろじん)や陳独秀(ちんどくしゅう)といった、当時のオピニオンリーダーによって、それは大きな動きとなりました。

当時、まだ大学で出たての毛沢東は図書館に勤めながら、新文化運動の中心であった雑誌『新青年』にたくさんの文章を寄稿しました、そして、その過程で共産主義思想に出会います。
実は『新青年』の主宰者である陳独秀が中国共産党の創設メンバーだったのです。
そして毛沢東も末席ながら創設メンバーとして、1921年、共産党に入党することになりました。

 

毛沢東

発行年度 1967年
編号 文1
買取における価値 400円~3000円

 

 

共産党に入党

意外なことに、入党当初の毛沢東は大した活躍をしていません。
むしろ、共産党内部の抗争の間隙をぬった形で頭角をあらわした、といった感じです。
当時、共産党は、共産主義の総本山たるソ連の指導を受けていましたが、それに従わないメンバーも多くいました。
また留学した地域によって派閥が生じ、内部抗争が常に絶えませんでした。
そんな中で毛沢東は「距離間」を利用してのしあがってきました。
つまり、本部のソ連、現地の中国という情報が錯綜する地域を利用して、自身に都合の良い報告のみを行い、そうでない報告をするものは粛清するという手法をとりました。

そして、みるみると高い地位と軍事力を獲得し、いつの間にか首班の座に座ったのです。

毛沢東の右腕として名高い周恩来(しゅうおんらい)も元々はヨーロッパ留学組の筆頭であり、どこにも留学していない毛沢東よりも立場は上だったはず、彼の高い政治能力に最後は従ってしまったのです。
そんな毛沢東は、日本との戦争によって、その地位を確固たるものにしていきます。
当時は小勢力にすぎなかった共産党を、中国の政権を握っていた国民党と手を組むことによって勢力を拡大していきます。
そして日中戦争では、自ら手を汚すことなく、国民党を日本との戦争で疲弊させ、自身は軍事力を蓄えました。
そして、日本軍が撤退した1945年に国民党との共闘関係はくずれ、国共内戦が開始、見事国民党軍を打ち破り、中国を手中に収めます。
更に、朝鮮戦争では北朝鮮に味方し、義勇軍(実態は国軍)を派遣、アメリカを主力とする国連軍と戦いました。
まさに、毛沢東はあっという間に戦後社会を動かすアクターの一人となったのです。

 

重大な欠点

そんな卓越した才能の持つ毛沢東には政治家として重大な欠点がありました。
それは、内政の実力が乏しいことでした。彼は1950年代後半に「大躍進政策」なる国力増強策を実践しました。
「生産力においてイギリスを3年で追い越す」と勇ましい目標を打ち立てたものの、それはおよそ科学的な根拠にもとづいたものとはかけ離れた、非現実な経済政策でした。
製鉄技術に詳しくない農民に鉄を作らせる、農作物を荒らすスズメを大量駆除した結果害虫が大量発生度を超えた密植、これでは生産力の低下は当たり前でした。
しかし、何よりも恐ろしかったのは、各地方自治体によって生産高の虚偽報告が行われ続けたことでした。
地方の報告を信じた毛沢東の中央政府は更なるノルマを課し、更に現実とかけ離れた報告が行われるというのが大躍進政策の負のスパイラルでした。

 

経済政策の失敗

こうして、経済政策の失敗から、毛沢東は失脚を余儀なくされました。
何とか名誉回復をしたい毛沢東は、政治の世界から遠い位置におり、自身を無邪気に崇拝してくれる若者たちを利用します。
「文化大革命」のはじまりはここからでした。

 

文化大革命

若者たちを中心に、「紅衛兵」を結成し、自身に批判的な発言をした者には政治力の高い者であろうと、物理的暴力でもって弾圧を加えました。

中国全土に粛清の嵐が吹き荒れたのです。
「文化大革命」は1976年の毛沢東の死まで続き、損害を被った人数は億に近いと言われています。
それだけ中国史に大きな影響をもたらした人物であることを認識しながら、以下の切手を見ていきましょう

 

中国全土を震わせた毛沢東の語録

毛沢東の卓越した能力の一つに、言語能力があります。文化大革命において、彼の言葉は多くの若者を動かしました。
そんな言葉を切手にしたものが「毛主席 詩詞」です。
全14種類で構成されているそれは、古の詩人に匹敵する言葉が記載されています。いくつか紹介いたしましょう。

 

「虎蹲(うずくま)り 龍盤(わだかま)れるも 今は昔に勝り、天翻(ひるが)へし 地覆(くつが)へして 概して慷」・・・「人民解放軍」より。国民党軍への勝利が決定的となった様子を表した一説
「暮色 蒼茫として 勁松を看る。亂雲(らんうん) 飛び渡れど 仍(な)ほ從容たり。」・・・「李進同志に」より。李進とは第四夫人の江青のことを指しています。

 

このように、毛沢東はその高い言語能力で人々に感動を与えた詩人でもあったのです。

 

毛主席詩詞(毛沢東)

 

発行年度 1967年
編号 文7
買取における価値 14種類が全て揃っていれば価値は30万

 

毛沢東を称える切手~「毛主席語録」とは~

建国者である毛沢東は、国内で神のごとく扱われ、事あるごとにお祝いの切手が発行されました。
特に文化大革命の最中は過剰に祝われました。

 

毛主席の長寿を祝う語録

発行年度 1967年
編号 文1
買取における価値 11種類が全て揃っていれば価値は20万

 

 

「毛主席の長寿を祝う語録」「毛主席の長寿をたたえる」「毛主席は赤い太陽」などがその代表例です。
そして、それらの毛沢東礼賛切手において、しばしば引用されたのが、過去の毛沢東の名言を集め、紅衛兵のバイブルとなった『毛主席語録』からの言葉でした。
それは詩文とはかけ離れたものでした。いくつか紹介しましょう。

 

「人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である。」
「われわれの事業を指導する中核的力は中国共産党である。われわれの思想をみちびく理論的基礎はマルクス・レーニン主義である」
「政策と仙術は党の生命である。各級の指導的な同志は、けっしておろそかにせず、じゅうぶんな注意をはらわなければならない」

どれも読みやすい文章で構成されており、これら一つ一つの語句が若者を文化大革命へと駆り立てたのです。
そして、切手の一部にも引用され、対外的にも『毛主席語録』は有名になります。

毛主席の長寿をたたえる・毛主席は赤い太陽

発行年度 1967年
編号 文1
買取における価値 1万~2万

 

毛沢東,切手,買取,ランキング

いかがでしたでしょうか。
毛沢東によって失われた命は計り知れませんが、その一方でネパールなどではいまだに毛沢東を理想とする勢力(毛派)が勢力を握っているなど、今なお影響をもたらしています。
現代史の生き証人である毛沢東の切手、発見された方は、ぜひ査定に出されることをオススメいたします。
年々コレクターの数が減少しておりその買取価格相場が下がっているのが現状です。
しかし、今ならまだまだ高価査定が行われているので売却するなら最後のチャンスです。

 

高額査定を引き出す秘訣は町中の買取りショップではなくネット買取り業者を選ぶことです。
なぜならネット界と入り業者の方が販路が多く、買取り価格が高くなっているからです。
中でも切手高価買取り業者として有名な業者をご紹介しておきますので相見積もりをとるといいでしょう。
同時に複数の見積もりを取ることでより高額査定を引き出すことが可能です。
万一、査定価格が納得いかない場合はいつでも返却を受けられますので心配不要です。
なによりも早期に査定をしてもらうことが肝要といえるでしょう。
以下が最も高額査定してくれると口コミで名高い業者3社です。

 

毛沢東,切手,買取,ランキング